Introduction 山本海苔店を知る
なぜこれほど日本人から
愛されてきたのか。
答えは「伝統と革新」。
江戸日本橋の地に、嘉永二年(1849年)生を受けた山本海苔店。
「伝統と革新」という言葉を心に刻み「守るべきもの」と「変えるべきもの」を見極めながら、日本食文化の先駆者として、170余年走り続けてきました。
海苔をより「おいしく」、より多くの方に届ける社会的使命と、歴史ある海苔産業を支える「責任感」を背負いながら山本海苔店は進化を続けています。
そんな山本海苔店の「歴史」と「未来」をこちらにてご覧ください。
Chapter Tradition
170年を超える歴史の間、大きな苦難が幾度も私たちを襲いました。大正12年(1923年)に起こった関東大震災では、日本橋の店舗をはじめ倉庫が消失。そのような状況の中、当時の経営者である四代目山本德治郎はすぐさま復興に着手。わずか30日の間に室町に再開業し、復興ののろしを上げました。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)には、空襲で本店が焼失。しかし、約半年後には葦簀張りの床店で営業を再開。「食」の面でいち早く近隣の戦後復興に貢献しました。これらは日本の食文化を支える「事業」としての、「責任感」の証。そして何より、どのような困難にも屈せず前に進むことができる、強固な「組織力」の証左です。
創業当時からの象徴
「まるうめ」マーク。
山本海苔店の象徴である「まるうめ」マーク。このマークは創業当時から使用され、1902年の登録商標法制定と同時に登録・認可されました
その由来は...
一、 創業時、江戸前の海では、梅の花が咲く寒中に上質の海苔が採れたこと。
二、 海苔が梅の花と同じように、香りを尊び、大切にしている事。
以上二つの理由から、山本海苔店は「梅の花が咲く寒中に採れた、香りが馥郁(ふくいく)でおいしい海苔をお届けしたい」という想いを込めて、この「まるうめ」マークを創業から数えて170年余使用しています。創業当時の想いを忘れぬよう、山本海苔店では「梅の花」「紅梅」「梅の友」など、梅の字を使った製品を多数取り揃えています。
伝統とは、革新の連続である。
1869
明治2年
明治天皇の京都還幸に際して、御所への東都土産のご下命を賜り、苦心の末に味附海苔を創案。「宮内庁御用達」制度が公式に始まった1891年(明治24年)には実績が認められ、名実ともに御用達商人となりました。
1965
昭和40年
「ドライブイン」という呼称で日本初ともいわれる、ドライブスルーを駐車場に設置。設置当時、百貨店の閉店時間が午後6時だった中、ドライブインはほぼ年中無休で午後8時まで営業。お客様から大変重宝されました。
2009
平成21年
「キャラクターのりチップス」として、ディズニーやサンリオといった、老若男女にお馴染みのコンテンツとのコラボ商品を販売。各種専門店とコラボした、「はさみ焼」「ふりかけ」「鰹節」などの商品も人気です。
Chapter Passion
山本海苔店が表現する、
唯一無二の「おいしさ」。
口に入れた瞬間に感じる、心地よい「パリッと」した食感。その後から出てくる「サクッと」した、おかきのような食感。極上の感覚が味わえる「口どけ」の良い「おいしい海苔」を、私たちは「やわらかい海苔」と表現しています。旨味が凝縮された有明海産の海苔を、「ミディアムレア焼き」という独自の焼き方によって仕上げた製品が、この「おいしくて、やわらかい海苔」。伝統と技術が織りなす、唯一無二の味わいをご堪能ください。
若く柔らかい「一番摘み」。
採苗から摘採まで、30日程しか経っていない若い海苔「一番摘み」。
山本海苔店の「おいしさ」の源が、この若く柔らかい海苔です。
私たちは究極の「口どけ」を追求するため、漁師さんには海苔を短く刈り取り、この「一番摘み」をより多く収穫するよう依頼しています。
もちろん、買い取り価格はより高い金額となりますが、これが私たちの「当たり前」です。
目先の利益を重視する単なる取引ではなく、「味」と「品質」を最優先し、最高の価値を生産者と共に追求すること。
江戸時代から続く、このような最高のパートナーシップがより「おいしい」海苔を生み出しているのです。
厳選に厳選を重ねた「一枚」。
山本海苔店独自の選別工程「仕訳」。
私たちは、入札会で格付けされた海苔を「仕入部」の熟練バイヤーが厳選吟味のうえ、調達しています。
さらに、あらためて弊社工場「仕訳技術室」所属の熟練技術員が、山本海苔店基準で全量再評価。
一日およそ30万枚の海苔を、「色・ツヤ」「形」「香り」「味」「テクスチャー(食感・歯切れ・口どけ)」の五感から、45等級に分類します。
これはマニュアル化ができない「技術」であり、一人前になるには8~10年を要します。
この品質本位の哲学が、最高の「口どけ」とブレのない「おいしい海苔を守る最後の砦」という、山本海苔店の誇りを支えています。
| 優先順位 | 山本海苔店 | 海苔業界一般 |
|---|---|---|
| 1 | 口どけ | 色調・焼き色 |
| 2 | 味 | つや |
| 3 | 色調・焼き色 | 形 |
| 4 | 形 | ー |
| 5 | つや | ー |
伝統+地の利+最新の科学技術。
創業以来「海苔ひとすじ」を貫く、山本海苔店の強みのひとつが「徹底した品質主義」。
この品質主義を支えている近年の重要拠点が、2014年(平成26年)に操業を開始した佐賀工場です。
日本最大の海苔生産地である佐賀県、そして有明海の側に位置するこの工場では、伝統的な職人技と現代の科学技術により、鮮度感のある最上級の海苔が日々生み出されています。
1849年の創業以来、私たちがこだわっている「熟練の職人育成」という人的資本への長期投資と、「時代に合わせた最新の設備」という物理的資本への巨額投資。この二軸が、山本海苔店の誇る「唯一無二」のおいしさと価値をつくりあげているのです。
Chapter Mission
古来から続く「海の恵み」の継承者として。
海苔は縄文時代から食用として、人々に親しまれたと考えられています。高級品として扱われた飛鳥時代から、幾多の技術革新を経て、江戸時代には庶民の日常食として定着。現代では、豊富な栄養を持つ「スーパーフード」としても注目されています。私たちは食物、そして文化として、海苔の未来を紡ぐことを使命としています。
時代に合わせた、「心を贈る」文化。
山本海苔店の製品は「中元・お歳暮」としても長く親しまれてきました。
ですが、近年私たちは「形式」に固執せず「高級だから買って贈る」という価値観から、「おいしいから買う」という現代に合わせた価値観への転換を図っています。伝統を大事にしながら、現代の価値で再構築する「柔軟さ」を私たちは大切にしています。
The Future of NORI Industry
海を渡って「日本の海苔産業の未来」を切り拓く。
生産者の高齢化、海水温上昇などによって生産量が落ち込み、存続の危機に瀕している日本の海苔産業。
「日本のおいしい海苔を守る最後の砦」として、山本海苔店はこの危機に立ち向かっています。
この状況を打破する施策のひとつが、海外展開の強化。
2050年まで需要の増大が予想される、海外市場への販路を拡大しています。
2023年には、中国・アメリカ・メキシコ・ポーランドに拠点を構えた、海外販売の先駆的企業である、株式会社髙岡屋と資本業務提携。
国外における販売網・製造拠点・ノウハウを大幅に強化しました。
「日本の食文化」と海苔産業全体の「未来」を切り拓くため、
海を渡ってのアプローチにも力を入れています。
Tradition and Innovation For the Next
次世代に渡す、百七十余年の「伝統と革新」。
私たちが170年以上向き合い続けている、一枚の海苔。
この海苔には、170年以上の歴史と、生産者の人生、熟練の職人技、
そして日本の食文化が凝縮されています。
二代目による「味附海苔」の発明や「用途別仕訳」に始まる革新。
究極の「口どけ」を追求し、上質な一番摘みの海苔を高値で買い取るパートナーシップ。
独自の「仕訳」技術で一日30万枚を五感で格付けし、最高の品質を守り抜く職人技。
一枚の海苔に込められた、これらの重みと誇りを未来へ繋ぎ「おいしい海苔を守る最後の砦」として、
日本の食文化を次世代へ継承すること。
そして、この「おいしい一枚の海苔」を世界へ広げることが、私たちの使命です。