俳句庵

季題 8月「鰯雲」

  • 離別して見上ぐる空や鰯雲
  • 宮城県     林田 正光 様
  • まだ登る坂のありけり鰯雲
  • 大阪府     藤田 康子 様
  • いわし雲遊子の如く流れ行く
  • ブラジル     西山 ひろ子 様
  • 足場組む鳶の掛け声鰯雲
  • 神奈川県     龍野 ひろし 様
選者詠
  • 鰯雲明日へこころの襞正す
  • 安立 公彦

安立 公彦 先生 コメント

 八月の題は「鰯雲」。秋の天文の季語の中では殊に好まれている題です。歳時記には先人の秀句が満ちています。空一面に広がる鰯雲には、仰ぐ人それぞれの思いが宿ります。十七文字から「鰯雲」の五字を引くと、残りは十二文字。この十二文字の発意と組合せが一句を決めます。これは俳人全てに及ぶ作法です。皆さんの句も全く同じです。その十二文字には、作者それぞれの人生があります。その人世を的確に表現する基本は、作者の精進あるのみです。今月も佳句が多いでした。
 優秀賞の林田正光さんの句。この「離別」は「離婚」でしょう。「見上げる空の」は、「見上ぐる空や」としました。上五、中七が一体となって、作者の思いを表しています。離別には原因がありますが、そういう情況を包んで、「見上ぐる空や」が、作者の思いを善く表現しています。鰯雲も的確です。
 藤田康子さんの句。「登る坂」は目前の坂ではなく、作者の心の中に期する思いです。鰯雲を仰ぎながら、自らの決意を、「まだ登るべき坂がある」と反芻しているのです。「まだ」と言う実行に至っていない言葉、「ありけり」という語のひびき、それらが一体となって、鰯雲に呼び掛けているのです。
 西山ひろ子さんの句。「遊子」は「旅びと」。鰯雲には「鱗雲」の傍題があります。その形状はまさに鱗状と言えるでしょう。大空に浮かぶ鰯雲を見ていると、その無数の雲の配列に、「遊子の如く」の思いが湧いて来ます。それはまた、自身をもその「遊子」になぞらえて「流れ行く」思いなのです。
 龍野ひろしさんの句。一転この句は工事現場の景です。郊外に建つビルの現場。「鳶」は鳶職、建設中の建物の外部足場を架けているのです。鳶職のチーフが大声を上げて皆に掛声をかけています。そのチーフはふと見上げる大空の鰯雲に眼を止め、脳裏に浮かべつつ、掛け声をかけているのです。
 今月の佳句。〈行商の女見上ぐる鰯雲 岩崎美範〉。〈桟橋に仰ぐ客船いわし雲 井手浩堂〉。〈母逝きて生家は遠し鰯雲 岩川容子〉。〈余命告ぐる医師やさらりと鰯雲 太田治子〉。夫ぞれの人生が善く詠まれています。

◎ 優秀賞、入賞に選ばれた方には、山本海苔店より粗品を進呈いたします。