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山本海苔店のあゆみ 山本海苔店のあゆみ

  • 1849

    初代山本德治郎、
    日本橋室町一丁目に創業

    現在も本店のあるこの地は、寛永9年(1632年)に作成された「寛永江戸図」にもすでに「むろまち一丁目」と記載されています。また、「日本橋」は江戸開府の1603年(慶長8年)に架けられ、以後19回の架け替えを重ね、現在の橋は1911年(明治44年)3月に完成したものです。初代が生を受けた文化・文政時代(1801~1829年)は「大江戸文化」の爛熟期で、それに続く「天保改革」(1841年)を迎え政治経済の大変革期となりました。創業当時すでに日本橋には魚河岸があり各種の商業が栄え賑わっていました。

  • 1858

    二代目山本德治郎を襲名
    海苔に「マーケティング」の手法を取り入れる

    二代目は現在で言う「マーケティング」の手法を味附海苔創製後に取り入れ、顧客ニーズに応じ海苔を8種類に分類して販売。当時としては画期的であったこの販売方法は顧客の支持を得て「海苔は山本」と言われるようになる。

    二代目山本德治郎

    二代目の取り入れた8種類の分類とは
    ①食(自家用) 
    ②棚(進物用) 
    ③焼(焼海苔の原料用)
    ④味(味附海苔の原料用) 
    ⑤寿司(寿司屋の業務用)
    ⑥蕎麦(蕎麦屋の業務用) 
    ⑦裏(卸用) 
    ⑧大和(佃煮用)

  • 1869

    日本で初めて
    「味附海苔」を創製

    味附海苔を創製。明治天皇の京都還幸に際し、御所への東都土産のご下命を賜り、味附海苔を苦心創案。これを機に宮内省(庁)の御用を賜るようになった。二代目は商人ながらも千葉周作の門下生として、神田於玉ケ池の千葉道場で剣道に励み、同門であった山岡鉄舟の知遇を得る。
    ※宮内庁御用達制度は1954年(昭和29年)廃止。

    その後明治天皇の侍従となった山岡鉄舟と二代目の親交は深く、 禅・剣・書の達人といわれた鉄舟の書が弊店にはいくつか残されています。弊社の包装紙を留める四角の封函シールに「東海名産無双佳品」の文字が読み取れますが、これも鉄舟の筆によるものです。「東海の名産にしてまたとない良い品である」という意味ですが、弊社が一年に一度販売する最上級の商品「無双佳品」はここから命名されたのです。

    明治・大正初頭
    味附海苔缶
    御用箱

    創業20年となり初代の蒔いた種は二代目で花開き、宮内省より下命賜るほどになっていたのです。「宮内庁御用達」が制度として公式に始まった1891年(明治24年)には、弊店は名実ともに宮内省御用達商人となったのです。御用達許可条件は厳しく、それまでの納入実績、商品の信用だけでなく店主の先祖に至る様々な調査があったようです。

  • 1882

    東京市内のノリ問屋11名と
    「東京乾海苔問屋組合」を組織し、
    東京府知事の認可を得る

  • 1900

    三代目山本德治郎を襲名

    三代目は海苔の仕訳においては日本中で右に出るものはいないと言われ「海苔の神様」とも呼ばれた。海苔の中で生まれ海苔の中で死んだと言われ、事実、仕切り場で新海苔を手にしたまま亡くなった。

  • 1902

    登録商標法制定と同時に
    「まるうめマーク」を登録し認可される

    創業当時から使われてきた「まるうめマーク」の由来は、創業のころ江戸前の海では梅の咲く寒中に上質な海苔が採れたことと、海苔が梅の花と同じように香りを尊ぶことに因んでいます。弊店の商品に「梅の花」「紅梅」「梅の友」など、梅に因んだ商品名が多いのもこのためです。また「旭の海」、梅の文字はありませんが、実はこの名も梅の品種の一つなのです。

    旧まるうめマーク
    旧まるうめマーク
    新まるうめマーク
    新まるうめマーク
    今でも「まるうめさん」と呼んで くださるお客様も
  • 1917

    四代目山本德治郎を襲名

  • 1923

    関東大震災で
    日本橋の倉庫を消失

    9月1日に東京を襲った関東大震災により、日本橋の店舗を
    はじめ倉庫が消失。日本橋にあった魚河岸も震災を機に築地
    へ移転。
    しかしながら四代目はすぐさま復興に取りかかり、
    9月20日にいち早く仮店舗を構えると同時に、築地の魚河岸にも築地出張所を設置。

  • 1931

    文豪の泉鏡花より賛文
    「山本特製海苔報條」を
    寄稿される

    「草に入る月。旭の海。武蔵野、江戸のはじめより。大東京の春の曙、ゆかりの色の紫を、千本に咲かすは、麗なる海苔の佳品なり。(後略)」この文は、『鏡花全集 巻廿八』(岩波書店 昭和17年11月30日第1刷発行)に収録されています。

    • 山本特製海苔報條
      山本特製海苔報條
    • 昭和初期の本店
      昭和初期の本店
  • 1941

    五代目山本德治郎を襲名
    太平洋戦争による政令により乾海苔商も統制を受ける

  • 1945

    太平洋戦争による空襲で
    本店焼失

    5月25日の空襲で本店焼失。12月には葦簀張りの床店で開業。1946年(昭和21年)にはバラック建てで営業し、戦後の建材不足から本建築の店舗が落成したのは1949年(昭和24年)11月であった。

    • 昭和30年代の本店店頭
      昭和30年代の本店店頭
    • 昭和30年代の本店外観
      昭和30年代の本店外観

    この2枚の写真にも写っている看板の文字は、大正時代から昭和の中頃にかけて活躍した漢字書家、大池晴嵐(おおいけせいらん)氏によるものです。この書を依頼した当時は大戦後の物資不足の折であり、晴嵐氏は中筆3本を紐でくくり合わせて1本の大きな筆をつくり、草稿を練ること2日、筆を執って2日、計4日をかけて書されたということです。沈着荘重の中にきらりと光るモダンな書は、戦後の看板の傑作中の傑作といわれています。以来この書は、山本海苔店のシンボルロゴタイプとして看板や包装紙、パンフレットなどに用いられています。

    山本海苔店
  • 1946

    従来の個人商店を
    会社組織に改め、
    株式会社山本海苔店を設立

    経営の近代化を図るとともに、乾海苔の加工技術に新しい手法を取り入れ、製品の均一化を図り販売網の拡大に力を注ぐ。戦後の復興と繁栄に合わせ、昭和30年代から50年代にかけて全国の百貨店に出店。

  • 1954

    銘々海苔「梅の花」発売開始

    銘々海苔「梅の花」発売開始。大缶が100袋入(1袋8切8枚)1,500円、小缶が50袋入850円であった。デザインは現在のものと異なり海藻と梅の花をモチーフとしていた。

    その後1962年(昭和37年)頃、江戸蒔絵師 九代 三田村秀芳氏にデザインを依頼。日本人の自然観を図案の中で具現化する意匠となりました。現在のデザインは2004年(平成16年)秀芳氏の子息である漆芸家 三田村有純氏(東京藝術大学教授)に、経年変化したデザインを元に戻すべく、全面的に描きなおしていただいたものです。

    現在の「梅の花」
    現在の「梅の花」
    山本海苔店を代表するロングセラーギフト
  • 1961

    2月、大田区大森東5丁目に
    山本海苔店研究所を設置

  • 1963

    大田区大森に大森作業所を竣工

  • 1965

    本社新社屋竣工
    駐車場側にドライブイン(ドライブスルー)設置

    現在も皆様をお迎えしているこの本社屋は、正倉院の校倉造りを模した外観で、店内は近代感覚の中に伝統的な日本美を生かし、店奥の壁面タイルは信楽焼で海苔の細胞をデザインしてあり、天井は海苔採取船の底、壁の上には帆掛け船の帆を模した装飾が施されています。ドライブインは1991年(平成3年)山本ビル新館建設にともない、閉鎖されましたが、開設当時は百貨店も毎週1日の定休日があり閉店時間も概ね18時、宅配便も今ほど普及していなかったため、正月以外年中無休で20時まで営業し、車に乗ったまま買い物できるドライブインは、夜の会合の手土産需要や雨天の買い物にたいへん重宝されたようです。

    • 新社屋竣工式
      新社屋竣工式
    • ドライブイン
      ドライブイン
    当店に誕生した日本初のドライブイン(当時)は大きな話題に 当店に誕生した日本初のドライブイン(当時)は大きな話題に
  • 1966

    大阪営業所開設(現:西日本営業部)

  • 1967

    山本陽子と
    専属モデル契約を結ぶ

    当時、山本陽子はデビュー3年目の新人でしたが、同じ「山本」姓であり、和服が似合う清楚な顔立ちでいながら、芯が強く快活なところから、「弊社のイメージにぴったり」と採用が決まりました。また、デビュー前は日本橋の証券会社に勤務していたことも、日本橋で長く商売をしている弊社との縁が感じられます。

    山本陽子
    山本陽子
  • 1971

    9月、神奈川県秦野市に
    秦野作業所を竣工

    大量生産ラインを備えたメイン工場として稼働。大森作業所との2生産体制を敷く。

    • 秦野工場
      秦野工場
    • 空から見た秦野工場
      空から見た秦野工場
  • 1972

    名古屋営業所開設
    (現在は西日本営業部に統合)

  • 1974

    札幌営業所開設
    (現在は東日本営業部に統合)

  • 1976

    福岡営業所開設(現:福岡オフィス)

  • 1978

    おつまみ海苔新発売

    缶入の発売は1983年(昭和58年)で、やはり味は「ごま味」のみで、「えびちりめんじゃこ味」は1985年(昭和60年)に発売されました。2000年(平成12年)には「うめ」「うに」「玄米」など味のバリエーションが広がり人気商品となりました。

  • 1992

    六代目山本德治郎を襲名

  • 2000

    製品の品質向上を図るため、
    秦野作業所を国際基準HACCP対応工場として増改築し、
    築年数が経過した大森作業所の業務を移行
    工場の一本化を実現

  • 2002

    カンロ株式会社様との
    コラボレーション商品
    「海苔と紀州梅のはさみ焼」
    がヒット
    これを機に
    CVS(コンビニエンスストア)・
    GMS(総合スーパー)など新しい販路拡大を図る

    海苔と紀州梅のはさみ焼
  • 2003

    10月、秦野作業所
    HACCP認定取得に伴い、
    秦野工場と改名
    山本海苔研究所を同所に移設

    HACCP

    HACCP とはHazard Analysis and Critical Control Pointの略称で、
    食品の製造・加工工程のあらゆる段階で発生するおそれのある微生物汚染等の危害をあらかじめ分析(Hazard Analysis) し、その結果に基づいて、製造工程のどの段階でどのような対策を講じればより安全な製品を得ることができるかという重要管理点(Critical Control Point) を定め、これを連続的に監視することにより製品の安全を確保する衛生管理の手法です。この手法は国連の国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)の合同機関である食品規格(コーデックス)委員会から発表され,各国にその採用を推奨している国際的に認められたものです。

  • 2007

    9月、
    丸梅商貿(上海)有限公司設立

  • 2009

    8月、株式会社サンリオ様との
    コラボレーション企画商品
    「はろうきてぃのりチップス」
    発売

    はろうきてぃのりチップス
  • 2011

    5月、
    シンガポール髙島屋店出店

  • 2014

    9月、佐賀市久保泉町に
    工場新設

    日本最大の海苔生産地である佐賀に製造拠点を設置することにより、生産者と消費者との距離を縮め、最上級の海苔を鮮度感のある商品に作り上げる。
    工場内には原料を保管する冷凍倉庫を棟内に設置し、原料輸送の時間短縮及び劣化リスクを回避。山本海苔研究所も同所に移設。物流拠点として埼玉県川口市安行原に安行センター開設。

    HACCP
    佐賀工場
  • 2015

    11月、
    佐賀工場HACCP認証を取得

  • 2016

    8月、安行センターを閉鎖し、
    物流業務を秦野工場に移管

  • 2019

    味附海苔が
    宇宙日本食として認定

  • 2021

    代表取締役社長に
    山本貴大が就任

  • 2022

    株式会社ウォルトディズニー様とのコラボレーション企画商品
    「ディズニーのりちっぷす」「ディズニー具付のり」発売